前回の投稿では、JACI開催のソロ同通に関するウェビナーを聴講したことをきっかけに、同時通訳をチーム体制で行う理由、一人当たりの担当時間、同時通訳を取り巻く昨今の環境変化などについて考察しました。
それを受けて、この後編では、ウェビナーのなかで特に私が納得し、今後に生かしたいと思ったことをピックアップして紹介していきます。
長時間にわたる同時通訳の影響(品質、生理的ストレス、精神的ストレス)
長時間にわたる同時通訳の影響に関する影響は、1998年にBarbara Moser-Mercerらによる研究がなされています。
詳細はここでは触れませんが、この研究によると、同時通訳を初めて45分以降は、深刻なミスがその前の時間帯よりも大きく増加するとのこと。特に私の注意を引いたのは、「通訳者は自分がミスを犯していることに気が付かない」という点でした。
深刻なミスの例として、「ナンセンス」と呼ばれる種類のミスが挙げられます。通常まずあり得ないことを、もっともらしく言ってしまうことです。例えば、「鶏は海を渡ることができる」と言ったら、おかしいですね。そのような種類の発言です。
通訳のミスには、他にも、「原文を逆の意味に理解して訳してしまう」とか「情報を歪曲してしまう」、「省略してしまう」というミスがあります。前者は例えば、原文が否定形だったのに聞き取れず肯定形で訳してしまうことが挙げられます。情報の歪曲については、例えば細かい数字が出てきたときに正確に取れず、丸めて言ってしまうことが挙げられるでしょう。
通訳者がミスに気が付くかどうか、疑問に思った方もいらっしゃるかもしれません。自分が情報を網羅的に取れていないときは、私自身おおむね気がついています。そのようなときは、パートナーからのメモだったり、そのあとに出てくる情報だったりを参考にし、なんとかどこかのタイミングで入れ込めないか、考えながら通訳しています。
世界的な業界団体AIICの職業倫理規定
通訳業界には、International Association of Conference Interpreters、通称AIIC
(「アイーク」)と呼ばれる世界的な通訳者の業界団体があります。前編の記事で紹介したニュルンベルグ裁判で同時通訳という通訳の種類が確立されたあと、1953年に設立された団体で、業界内で大変強い影響力を持っています。
そのAIICが、Code of Professional Ethics(職業倫理規定)のなかで、「本協会の会員は、ブース内で同時通訳を行う場合、単独で、または必要なときに交代する通訳者がいない状態で行ってはならない」(拙訳)と述べています。
ちなみにここでは「ブース内で」と記載がありますが、ビジネスの場で通訳を入れる場合は、必ずしもいつもブース環境があるわけではありません。簡易同時通訳の機器を用いて、ブースなしで行う同時通訳もよくあります。そのようなときであっても、通訳をするという業務自体は同じですので、複数体制で臨むのが一般的です。ブースがないからといって上記のAIICの規定が当てはまらないわけではないのです。
実は通訳に関するISOが存在する。そのなかにもソロ同通への言及が
いわゆる「世界基準のものさし」とでも言えるISO規格 。実は通訳に関してもISO23155、会議通訳の要件と推奨に関するISOが2022年に発行されました。
ISO規格自体は法的な力は持ちませんが、国際的に専門家たちから同意を得て策定されている内容です。
そのなかで、「同時通訳は、ブースにおいて少なくとも二人以上のチームで通訳をする。例外として、一人で最長45分間通訳を行う場合がある」(拙訳)との記載があります。
同時通訳の複数体制はコストなのか?
個人的には、必要コストだと思います。
研究結果としても、国際的な通訳業界のコンセンサスとしても、だいたい一人で同時通訳をしていると45分を過ぎたあたりからは訳の質が落ちることがわかっています。
私自身の経験で言うと、案件の難易度にもよりけりですが、20分を過ぎると集中力が落ちてくると感じます。誤解を恐れずに言うと、集中力と同時にやる気が落ちてきます。
訳の質が落ちるということは、上記の「ナンセンス」、「逆の意味で出す」、「意味の歪曲」といったことのほかに、例えば、ボキャブラリ運用の低下もあります。疲労する前の状態なら、聞きやすく理解しやすい形に「咀嚼して」情報を出すことができても、疲れてくると、最適な訳語をとっさに選べず堅い言葉のままだったり、原文のカタカナに「てにおは」をつけてしゃべっているだけだったり、と聞き手にやさしくない通訳をしてしまうことは、私も経験があります。
また、会議は生ものです。ふたを開けてみたらスピーカーがものすごい早口だったとか、結果的に会議が30分以上延長した、というようなこともあるものです。しかし、見積の段階ではこういったことが完全に予測できません。そのような不測の事態にも通訳の質を担保しながら対応するためには、複数体制が必要なのです。
逆に言うと、コスト削減のためにソロ同通を依頼するのであれば、延長の可能性を確認し、スピーカーからの事前情報を完全に担保したうえで、パフォーマンスの質が落ちる可能性を受け入れること、通訳の質に対して適切な期待値を持つことが重要でしょう。
通訳者の視点から、同時通訳に適切な時間、人数を考えてみた
やはり今日本の通訳業界でスタンダードとなっている、半日程度なら2名体制、終日なら3名体制というのが、質を担保するうえで妥当ではないかと思います。
日本のエージェントに見積依頼を出すと、だいたいそのような見積もりが上がってくるのではないでしょうか。私自身の経験から、そう思います。
さらに、複数体制にすることによって、とっさのトラブルに迅速に対応できたり、お互いにメモ取りをしてフォローしあうことで一人でやるときより質の高い通訳をすることができたりするのです。特に質疑応答のような何が出てくるかわからない内容の通訳では、パートナーのメモ取りに大いに助けられることが多いです。
1人当たりの担当時間は15分くらいがいいと思います。
これは、余裕をもって交代を回すためだと理解しています。欧米の言語間(例えば、英語↔フランス語など)で通訳する場合は、20~25分で交代するのが通例だそうです。これは、言語の構造が似ているため、通訳するのにかかる認知資源も日本語↔英語の場合よりも少なくて済むからかもしれません。また、そういう文化なのだ、という事情もあるでしょう。
また、「最長45分なのに、15分で交代って短くない!?」と思われた方もいるかもしれません。
同時通訳は、短距離走のように濃密なものです。それを半日なり、一日なり、交代しながら行うためには、余力を持たせながら回していくことの方が、体力、気力の限界まで全力疾走して「オールアウト」して、45分休んで、次にまた全力疾走するよりも、通訳者は体力的にやりやすいのではないか、と思います。10000メートルの走者は、50メートル走者と同じペースでは走らない……そんなイメージです。
より良い同時通訳をお客様に提供するために
これまで私はソロ同通について、なんとなくでしか考えてきませんでした。しかし今回のウェビナーで研究結果を示されて、自分の直感に裏付けを得た気持ちになりました。
山本ランゲージサービスとしては、30分以上の会議のソロ同通(現場でのブース内の同通やリモート同通)は受けない方針とすることにしました。質の高い通訳を提供することが、お客さまへのメリットにつながると信じているからです。